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分析批評について

分析批評は、いわゆる新批評の反証可能性を引き継ぎながらも、テキストのみならず著者などのコンテキストをも記号的に取り込んだ「日本独自」の「国語教育的」すなわち教科書批評なのであった。

記号的批評の方法論的な参考にはなれども、それ自体が記号哲学に依拠しているわけではないので、その意味では折衷主義的であり、また方法論絶対化主義とも見なせよう。

記号論総括中

存在即記号、という記号存在論を要する、つまりは、ショーペンハウアーの「一切は表象である」の記号論化としての「一切は記号である」という記号哲学の構築が要請される、ということのために、改めて様々な記号論を研究中だ。ランガー、モリス、分析哲学系 (ネルソン・グッドマンの美学はランガーへの批判として書かれたのだから、米国記号論の系譜としてはランガー系と見なせる)、ソシュール系等々。もちろん、最終的にはモリス記号学へ、と言うか三位一体記号論へと収束されることにはなろう。また、その記号哲学は「体系」となるであろうから、体系性のモデルを岩崎武雄の哲学体系 (真理論、存在論・実践論) に求め、また世界の記号的把握ということで諸生物にとっての世界についても調べる。

ファンタジーの英文

簡易なのは、米語ならオズシリーズ、英語ならナルニアシリーズあたり。日本での低学年向けに相当。プーは、This is thatみたいな女王英語的表現が、非英語人にはわかりづらい。ホビットはやや難しいが、指輪物語 (モルドールへ近づくほどより古語的になっていき、英米人でも辞書無しには読めない) ほどでは無い。ゲド戦記は典型的な戦後アメリカ文学の文体で、日本での中学生向けに相当。戦前のアメリカ文学はイギリス文学への劣等感から、語彙が豊富なほど良いとされがちだったが、戦後は米語が世界語になる過程でプレインイングリッシュすなわち簡明なほど良いとなって、ただし多国籍的性格ゆえにロマンス語系語彙がやや多め。イギリス英語もこの影響で同一化しつつあるようだが、それは米国さらには米語圏が書籍の市場として巨大なためもある。

映画版指輪物語について

映画版指輪物語が、ヘルム峡谷の戦いまでの出来が非常に良いのは、アニメ版という前例の存在が大きい。しかし、かような前例無きそれ以降は、急速にスケール感がしぼんでしまっている。ミナスティリス包囲戦は、サウロンによって作られた「終わりなき闇夜」の中で、広さも「戦場の霧」の如き不明さで原作では進行し、さながらスターリングラード包囲戦 (を筆頭とする独ソ戦) ファンタジーバージョンのようなスケール感に満たされているが、映画版ではあまりに明る過ぎまた戦場がしぼみ過ぎて、スケール感がヘルム峡谷の戦いより小規模に感じられてしまう (映画版は原作準拠率が非常に高いので、「王の帰還」のみ、映画版の後で小説版を読めばこの「差異」は容易に埋め得よう)。